「京都の六斎念仏」の起源は定かではありませんが、平安時代、空也上人が始めたとされる踊躍念仏が起こりと伝えられており、民衆に仏教を広めるため六斎日(毎月 8、14、15、23、29、30の六日)に市中各所で鉦や太鼓を打ちながら念仏を唱え踊ったことから六斎念仏と称されるようになったといわれています。
その後、六斎念仏は変遷し、念仏踊を主とする念仏六斎系と、風流化し能や歌舞伎の演技などを取入れ娯楽性が進んだ芸能六斎系の二系統に分れて今日まで伝承されてきました。
千本六斎会は、西陣という土地柄を反映して発展した華やかさが持ち味の六斎念仏を継承しており 風流化の強い芸能系六斎です。
なお、「西方寺六斎念仏」は、道空上人が広めたといわれる干菜寺六斎念仏の流れを汲む念仏六斎を伝承されている保存会です。
「京都の六斎念仏」は 昭和58年に国から重要無形民俗文化財の指定を受け、現在、京都市内には二つの系統をあわせて十数グループの六斎念仏保存団体がそれぞれ特徴のある六斎念仏を継承しております。
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